シンプルに生きることの難しさと実現性の狭間に
シンプル&リッチに人生を過ごしたいという気持ちで色々と書き連ねているいるが、そんなに簡単ではない。
多くの無駄を排除して上澄みだけをすくって淡々と過ごすだけでは、空虚なものになる。
シンプルとは、排除・淘汰・集中といった要素を含んでいる。
シンプルに行き着くには様々な経験をしたり、様々な人と接したり、様々な失敗・成功を繰り返し、
その中で「シンプル」の価値を身をもって体現できる。
シンプル=当然人によって違いがある
シンプルは様々なことをそぎ落とすイメージがあるが、そんな単純なものではないと思う。
人には感情があるし、故に好き嫌いもあるし、幸福度も人によって違う、価値尺度も人によって全く違う。
だからこそシンプルは「人によって違いがあっていい」。
人が皆同じ価値観であれば、とにかく余計なものをなくしたり、とにかく時間を効率的に過ごしたり
ということだけに邁進するだけ。
それはシンプルではなく、単純作業を求めるだけになってしまう。
- シンプル=コア(自分の核)をなくさずに、ぜい肉をそぎ落とす
要は、自分の大事なものは何かを認識して大事にすること、かなあと思う。
どういうことかと例えると、例えば一杯のコーヒーでいうと、
- 自分の好きな豆を選び、自分で挽き、ドリップして入れた一杯
- とにかく無駄な工程を省いただけの一杯
これは同じだろうか。
人の考え方や感性・価値観で意見が分かれると思う。
自分の大事にしていることが何かによって変わるし、その中でシンプルさが形成されていく。
北欧スウェーデン人に倣うシンプルライフ「LAGOM(ラーゴム)」
スウェーデンにはLAGOM(ラーゴム)という考え方がある。
個人的にこの考え方が好きなのだが、バランスの良さみたいなこと。
完璧を求めるのでなく、「自分にとってのちょうど良さ」があれば良い。
これは生活や仕事、子育て、余暇の過ごし方など様々なところに応用できる考え方。
スウェーデン人はフィーカ(fika)と言われる、お茶をする時間をすごく大事にしているのだが、
1日の中での「癒しの時間」といったところだろうか。
どんなに忙しい仕事中でも、必ずフィーカの時間を取り、
みんなでおしゃべりを楽しむ。
流されず、自分のペースと余裕を大事にする。
LAGOM「自分にとってのちょうど良さ」は無理をせず、自分らしく楽しむということ。
自分にとっての本質=「シンプル」
色んなものをそぎ落として残ったものが「シンプル」という考え方もあるし、
逆に無駄を含めて「シンプル」に自分の求めることを愚直に追うことも、これまた「シンプル」と言えるかもしれない。
人により「シンプル」の形は違う。
大事なものやコアをそぎ落としてしまっては、本質でなく無駄を排除しただけになってしまう。
やはり自分のアイデンティティをないがしろにせずに、本質のある「シンプル」の価値を
自分なりに形成していくことが人生を豊かにする。
シンプルは「自分の都合」でいい
やはり日々を淡々と効率的に過ごすだけでは空しいし、飽きる。
カオスがあってこそのシンプルである。
自分が好きなことや、やってきたこと、やりたいことを棚卸してみると、自分がどういう人間なのかが見えてくる。
自分を知った上で「シンプル」というものに向き合うことが最も重要な気がする。
要はシンプルなんて「自分の都合」で良いということ。
それにはメリハリも必要だろうし、疲れたら休む、めんどくさくなったらやめる。
そんな本能的なところを大事にすることじゃないだろうか。
シンプルに生きることの難しさとそれを実現することの狭間で、自分なりのシンプル&リッチを追い求めていきたい。